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Tendo

1940年に山形県天童市で創業した天童木工は、「成形合板」のパイオニアとして、無垢材では表現できなかったデザインの可能性を切り拓きました。その革新的な技術と卓越した職人技によって、耐久性と信頼性に優れた製品を提供し、一般家庭のみならず、企業の上級エリアや中央官庁にも広く採用されています。
創業以来、数々の著名なデザイナーや建築家とのコラボレーションを通じて、時代を超えて愛されるロングセラー家具を生み出してきました。天童木工の製品は、確かな品質、洗練されたデザイン、そして熟練の職人技が融合した逸品です。
人々の暮らしに寄り添い、心豊かな空間を創造する家具づくりを追求し、さらなる進化に向かっています。

01

バタフライスツール

天童⽊⼯の名前を知らなくてもバタフライスツール[S-0521]は知っているという⽅も多いでしょう。

デザインを考案した柳 宗理⽒は、海外でも実⼒を認められる⽇本の⼯業デザインの礎を築いた⼀⼈です。

戦後、イームズの成形合板技術を⽬の当たりにした柳⽒と当時、仙台にあった⼯芸指導所で成形合板を研究し後に天童⽊⼯に⼊社する乾 三郎との出会いがこの美しいスツールを誕⽣させるきっかけとなりました。同じ形の2枚の成形合板を真鍮⾦具でジョイントしたシンプルな構造ですが図⾯に頼らず、模型を作って⾃分の感覚に頼りながらデザインする柳⽒の⼿のぬくもりを感じられる柔らかい曲線が魅⼒です。

合板の厚さはわずか7mm。この薄さは、1mm程度にスライスした単板の⽊⽬⽅向が交差するように⼀枚ずつ重ね合わせ、強度を増すことで実現しています。このほか、座⾯の下で交差したフレーム構造が特徴的なスタッキングチェア[T-3035]もシンプルな構造と美しさが融合した柳⽒らしいデザインです。

Designer
柳宗理

1915年に東京に⽣まれる。東京美術学校(現・東京芸術⼤学)を卒業後、1942年に坂倉準三建築研究所に⼊社。1950年に財団法⼈柳⼯業デザイン研究所を設⽴する。その後バタフライスツールの原型をデザインし、それから数年間の研究開発を経て、1956年に銀座・松屋で開催された柳⼯業デザイン研究会展で発表された。1958年には、バタフライスツールがニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに選定されている。1977年、⽗である柳 宗悦⽒の設⽴した⽇本⺠藝館の館⻑に就任。2002年には⽂化功労賞を受賞。

02

柏戸イス[S-7165]

剣持⽒のシリーズの中でも⼀際異彩を放つ柏⼾イス[S-7165]は熱海ガーデンホテルのロビー⽤にデザインされました。その名は、⼭形県出⾝の⼒⼠、柏⼾関の横綱昇進を記念してこの椅⼦が贈呈されたことにちなんで付けられました。成形合板を得意とする天童⽊⼯にあって、無垢材のみで作られたこの作品は異⾊の存在です

剣持 勇⽒は、天童⽊⼯の歴史を語る上で⽋くことのできない関係の深かったデザイナーです。その出会いは戦前まで遡ります。1932年、⽒は⽇本初の国⽴デザイン指導機関だった⼯芸指導所に⼊所し、⼯業デザインや家具デザインに没頭していました。後に天童⽊⼯に迎えられる乾 三郎も⼊所。「デザインの剣持」と「成形合板の乾」との出会いが以降も⻑く続く天童⽊⼯との連携に繋がります。このようにして、天童⽊⼯は⽒から成形合板技術の指導を受け数々の名作を形にすることができたのです。

例えば、ゴルフ場のクラブハウス⽤に作られた3次元カーブが美しいチェア[S-5009]や京都国際会議場のロビー⽤に作られたイージーチェア[S-7008]などは後に規格品として販売され、現在も⾼い⼈気を誇っています。

Designer
剣持 勇

1912年、東京⽣まれ。1932年に東京⾼等⼯芸学校⽊材⼯芸科を卒業後、商⼯省の⼯芸指導所に⼊所。翌年、来⽇したドイツ⼈の建築家ブルーノ・タウト⽒のもとで椅⼦などの「規範原型」の研究を⾏う。1952年には、渡辺⼒⽒や柳宗理⽒らと共に、⽇本インダストリアルデザイナー協会の設⽴に協⼒。

1955年に剣持デザイン研究所を設⽴する。⽇本を代表する建築家、丹下健三⽒とのコラボレーションも多く、柏⼾イスの熱海ガーデンホテルや1964年天童⽊⼯が観客席を制作した国⽴代々⽊競技場の貴賓室もこのコンビによるもの。

03

Mathsson Series

スウェーデンを代表する建築家のブルーノ・マットソン⽒は天童⽊⼯が初めて契約した外国⼈デザイナーです。

⽒と天童⽊⼯の出会いは、1974年当時、六本⽊にあったスウェーデン・センターで開催された⽇本初の個展「ブルーノ・マットソン展」がきっかけでした。このとき初来⽇した⽒は、⽇本⼈のために⾃らデザインしたラフな図⾯やスケッチを持ってきており、早速天童木工と打合せが実施されました。

椅⼦を引きずっても床に傷がつかないよう脚の底辺⾯積を⼤きく取った「床摺り」をつけた構造は畳で暮らす⽇本の⽣活様式を勉強するなどかなりの“⽇本通”だったマットソン⽒ならではの提案でした。⽒がデザインした作品は、M Seriesとして発売されていますが中でも代表的なのはハイバックチェア[M-0562]です。前後の脚が「床摺り」によって繋がっている“閉じた脚”は安定した構造となり、フレームを細くすることを可能にしました。この細⾝のフレームをキャンバス地で包んでいるためハンモックのように体を受け⽌める座り⼼地と軽さが特徴です。

Designer
Bruno Mathsson

1907年、スウェーデン南部のヴァルナモで、家具職人の息子として誕生。幼い頃から家具作りを学び、家具職人として経験を積んだ後、自らの工房を作り多くの名作を生み出した。1934年には代表作となるEVAを、1968年にはカーリン・チェアを発表。1981年、スウェーデン政府よりプロフェッサーの称号を受けた。

彼がデザインした家具は、スウェディッシュ・モダンの傑作として憧れの的となっている。1974年に天童を訪れた際、畳のある旅館に泊まることを熱望したというエピソードが残っている。

04

T-7304 イージーチェア

丹下健三がデザインしたイージーチェア[T-7304]。まるで抱きつくように背⾯から伸びる独特なアームの形状から通称「ダッコちゃんイス」と呼ばれています。

天童⽊⼯は家庭向けの家具だけでなく、官公庁やホテルなど業務⽤となるコントラクト家具も数多く⼿掛けています。コントラクト家具は、デザイナーがインテリアを担当する場合と建築家⾃らその建築にあった家具をデザインする場合があります。

世界的に活躍した建築家である丹下健三⽒との共演は愛媛県⺠会館の客席⽤に成形合板で製造した1400脚から始まります。

1953年のことでした。その後、静岡県体育館(1958年)や東京オリンピックの会場となる国⽴代々⽊屋内総合競技場(1964年)など⽒の⼿掛けた⼤プロジェクトに成形合板の椅⼦を納⼊しました。⽇本における成形合板の真価を知らしめたのは丹下⽒であると⾔っても過⾔ではありません。⼤プロジェクトで何千脚と使われるシンプルな椅⼦と異なり1枚の成形合板から⼤胆で⽴体的なフォルムをもったボリューム感あふれる椅⼦があります。

Designer
丹下 健三

1913年、⼤阪府に⽣まれる。1938年に東京帝国⼤学(現、東京⼤学)⼯学部建築学科を卒業。ル・コルビュジェに傾倒し、その教え⼦である前川國男の建築事務所に⼊る。

1941年に東京⼤学⼤学院に⼊学し、1946年から1974年まで⺟校で教鞭を執り「丹下研究室」を主催。磯崎 新⽒や⿊川紀章⽒など、多くの優れた⼈材を育成した。天童⽊⼯と関わりの深いデザイナーの剣持勇⽒とのコンビで、国⽴代々⽊競技場など数多くのビッグプロジェクトを⼿掛けた。

丹下⽒が⼿掛けた東京都庁では、議場家具を始めとした数多くの家具を天童⽊⼯が担当した。

05

モンローチェア

正⾯から⾒ると直線的ですが、少し⾓度を変えると背もたれから後脚にかけて、うねるような特徴的な曲線が現れます。

アメリカの⼥優、マリリン・モンローのボディラインを参考に描き出された「モンローカーブ」と呼ばれるその曲線こそモンローチェア[S-7122]最⼤の⾒せ場と⾔えるでしょう。デザインした磯崎 新⽒は、群⾺県⽴美術館やロサンゼルス近代美術館、⽔⼾芸術館などを⼿掛けた世界的に有名な建築家です。モンローチェアは、⽒が設計し1974年に完成した九州市⽴美術館の会議室に初めて使⽤されました。

この椅⼦の開発にあたり、⽒が最初に描いたのはわずか親指サイズのスケッチだったそうです。そこから天童⽊⼯の職⼈が設計図を起こし、磯崎⽒が修正する。これを何度も何度も繰り返したという、逸話が残っています。また美しい曲線は、部分によって厚みを変えた「不等厚(ふとうあつ)成形合板」という⾼度な技術が使われています。製品は塗装で隠れていますが、最も厚みのあるカーブから徐々に細くなる積層断⾯の美しさは、究極の職⼈技の証です。

Designer
磯崎 新

1931年、⼤分県⼤分市に⽣まれる。東京⼤学⼯学部建築学科を卒業。同⼤学数物系⼤学院建築学博⼠課程修了。1963年に磯崎新アトリエを設⽴。代表的な建築作品は、⼤分県中央図書館(現アートプラザ︓1966年、⼤分)や群⾺県⽴近代美術館(1974年、群⾺)、バルセロナ市オリンピック・スポーツホール(1990年、バルセロナ)、秋吉台国際芸術村(1998年、⼭⼝)など。これら⽒が⼿掛けた多くの建築には、モンローチェアが使われるほか、秋吉台国際芸術村には、ローバックタイプのモンローチェアが導⼊されている。

06

T-7160SA-BX
イージーチェア

1984年、⽇本を代表する建築家 ⿊川紀章⽒が⼿掛けた国⽴⽂楽劇場のロビーで使われる安楽イス[T-7160]や⻑イス[T-7161]はそのイメージをさらに引き⽴てるためにデザインされています。⽂楽が興った江⼾時代に使われていた⽵⽮来や唐破⾵といった伝統的なシンボルが抽象化されて使われています。

ロビーという「洋」の空間で、「和」を意識させるデザイン。格調漂う重厚な⿊、格⼦をイメージさせるディティール、こだわりの塗り仕上げなど、随所に和の美しさが表れています。

Designer
⿊川 紀章

1934年、名古屋⽣まれ。1957年に京都⼤学⼯学部建築学科を卒業後、東京⼤学⼤学院修⼠課程⼊学。ここで当時「丹下研究室」を主催していた丹下健三⽒に会う。1962年、株式会社⿊川紀章建築都市設計事務所を設⽴。1964年に東京⼤学⼤学院博⼠課程を修了。1969年には、株式会社アーバンデザインコンサルタントと社会⼯学研究所を設⽴する。

代表的な建築に、寒河江市庁舎(1967年、⼭形)、中銀カプセルタワービル(1972年)、国⽴⺠族博物館(1977年)、クアラルンプール新国際空港(1977、マレーシア)などがある。

07

Swing chair

中村拓志は成形合板ならではのしなりと柔らかな張りによって、たおやかで美しいフォルムとゆったりとした座り⼼地を追求しました。⾝体を包み込むようなT字型の背は肘置きの機能も兼ねており、快適なデスクワークをサポートします。脚部は回転脚、無垢脚、ソリ脚、3つのバリエーションを展開。

空間や⽤途に合わせて選ぶことができる、建築と⼈に寄り添ったシリーズです。

Designer
中村拓志&NAP建築設計事務所

1999年明治⼤学⼤学院理⼯学研究科建築学専攻博⼠前期課程修了。同年「隈研吾建築都市設計事務所」⼊所。2002年「NAP 建築設計事務所」を設⽴し、現在に⾄る。地域の⾵⼟や産業、敷地の地形や⾃然、そこで活動する⼈々のふるまいや気持ちに寄り添う設計を信条としている。

08

SAND

⼆俣公⼀は、無垢材の脚を複数の成形合板のパーツで挟むという斬新な構成に挑みました。前後どちらからでも座ることができる背板の無いバックレスタイプをベースとして、パーツの組合せ⽅により、背ありタイプあるいは複数脚を連結させたベンチタイプへと展開できるチェアを考案しました。

そのフレキシブルなラインナップには空間設計のセンスが遺憾なく発揮されています。

Designer
⼆俣 公⼀

⼤学在学中より「CASE-REAL」として活動を開始し、2000 年に事務所開設。

現在、空間設計を軸とする「ケース・リアル」とプロダクトデザインに特化する「KOICHI FUTATSUMATA STUDIO」の両主宰を務める。福岡・東京を拠点に国内外でインテリア・建築から家具・プロダクトに⾄るまで多岐に渡るデザインを⼿がける。

09

PLYPLY

熊野 亘は成形合板の魅⼒をベーシックなシルエットながらも、どこか新鮮さを放つ⼀脚に凝縮させました。背と⼀体の滑らかな座⾯、さらにはそれを⽀える4本の脚とフレームを成形合板で仕⽴てています。背裏の⼿掛け(笠⽊)など、こだわり抜いたディテールがその独特な後姿をより⼀層引き締めています。

普遍的な美しさをまとったシンプルかつ優雅なチェアです。

Designer
熊野 亘

2001-08年にフィンランドへ留学、ヘルシンキ芸術⼤学 ( 現 アールト⼤学 )⼤学院を卒業後帰国。

2008年より Jasper Morrison Tokyo Studio 代表を務める傍ら、2011年にデザインオフィス ” kumano ” を設⽴し、国内外の インテリア、家具、プロダクトデザインやプロジェクトマネージメントを⼿掛 けている。2019年より、武蔵野美術⼤学⾮常勤講師を務める。